昭和41年12月30日 夜の御理解
甘木の安武先生に、ある時ある先生が尋ねられた。それは大祓式の事です。先生大祓式と言うのはどこまでも、神道から来たものでございますが、例えば年に二回あぁしてその大祓式というものがあります。今はあの大祓式とは申しません。一年中のお礼と御詫びの祭りという風になっております。けれども矢張りあのまぁいうなら、旧態依然としたその気分がですね。
長い信者さんの中にはございますから、やっぱりその年末とかあれは八月でしたでしょうかねの半ばに、大祓式とかがあってやっぱりあれを、その祓うて貰うと言うはらえつものと言う様なものをこしらえるんですよね。こんな人形形になったこれに、その家族中の名前を書いて歳を書いて、これを祓うて貰うわけなんですよ。勿論人間も一緒に祓うて貰うわけなんです。ですからどこまでも、あれは神道から来たものであるし、御道のご信心振りには、まぁいうならば反するような感じがするんですけれども。
あれはやっぱりせにゃいけんもんでしょうかちて。そしてまぁどういうその効果があるもんでしょうかち。そしたらね、ほんに親先生が仰った事はですね。それはねお祓いをすりゃするがたあると仰ったそうです。勿論それから何年か続きましてから、最近その教団でもその、大祓式というものは、致しませんようになりましたけれども、矢張り一年中のお礼とお詫びのお祭りと言う様な、一つの形式を取るけれども、矢張りこれはあの親教会から来てるんですけれども、こういうものが来るんですよね。
はらえつものというものが。そんならどういう風にほんなら、この大祓いを受けると言う事が、すりゃするがたあると言うのはどう言う様な風に、私はあのおかげ頂くもんだろうかと。今日は思うたんです。そしたらね神様から、こういう風に頂くですね。確かにあのそれこそ幣のさやぎのさやさやにとこう、あの幣でさぁさぁさぁっとこう、して貰うとですね、確かに気分が良いですね。私共でも本当に気持ちが良いです。お祓いを受けると言うわけですね。
だから特に大祓式はほんなら、半年中なら半年中のお粗末ご無礼、罪穢れというものがあれによって祓われるんだと言う、純真な素直さをもってですね。はぁ大祓いを受けさせてもらわなければ、いわば目出度い元旦も、目出度い元旦にはならないんだと言う様な、その素直な、その素直な気持ちがおかげと仰るね。それが、そうと思い込めれる。先生からこうやって祓うて頂いたと。はぁこれでそら様々なお粗末もご無礼も、不浄穢れも沢山あっとろうけれどもこれで祓うて頂いたと。
祓うて頂かなければやっぱりすっきりしない。祓うて頂いたと言う事によって、その気分がね矢張りおかげを頂く元だという風な事を頂くんですね。年末も愈々まぁ今日明日と言う事になりましたけれども、今宮崎さんからお届けがあったように、どうも今年ももうあと一日二日。せめてその一日二日でも心豊かに、有難い心で過ごしたいとこう言う事です。でなかったら有難い。
お目出度いお正月にはなりませんもの。せめて今日明日だけぐらいはです。心豊かに有難く一つおかげを頂こうと。その上にほんなら半年中に、随分つまらんお粗末ご無礼も作ってきた。そういうご無礼が、あれで許されると言うわけじゃないだろうけれどもです。許された気分だけでも、おかげ頂くと言う事です。ですから明日のここは除夜祭とこう申します。ですからその、除夜祭もですね。
矢張りあの大祓式に法らせて頂いて、私どもはあんな事は出来ませんけど。若先生が幸い、今度はおかげ頂きますから。幣もこの頃作らせて頂いておりますから、明日はそういう意味でですね。いわば大祓式に法った、そのお祭りを仕えさせて貰い。勿論その内容の中には、一年中のお粗末ご無礼をお詫びさせて頂く、お礼申し上げると言うそういうお祭りにしたいと思うんです。ですからどうぞ一つ家族中でです、お祓いが受けられるようなおかげを頂かれたら有難いですね。
どうぞ。